平成の日本で若い女性たちの象徴となったギャル文化。
原宿を発信地に、高校生や大学生を中心に「自分らしさ」を全面に押し出した独自のファッションやメイク、言葉遣いが流行しました。
TV・雑誌・SNSといったメディアを通じて瞬く間に全国に拡大し、やがて流行が変遷していったのも平成ならではの特色です。
本記事では、ギャル文化の起源からメイク・ファッション、交流スタイルやメディア展開まで、3つの章9つの視点でその特徴を振り返ります。

ギャルだけどー、固めの文章でまとめてみるよねー!!
ギャル文化の起源と社会背景

この章では、平成ギャルが生まれた土壌と原宿発信のムーブメントを解説します。
原宿・竹下通りのストリート発信
1990年代後半、原宿・竹下通りには全国各地から若者が集結。
ヴィレッジヴァンガードや竹下シャツなど個性派ショップが立ち並び、最新トレンドを即キャッチして「ギャルスタイル」を街頭でアピール。
ストリート撮影取材を行うファッション誌『egg』『Popteen』が誕生し、読者モデルを巻き込んだ読者投稿型の誌面展開で流行を加速させました。
バブル崩壊後の若者意識と消費文化
バブル経済崩壊後の平成初期、若者は将来への不安や閉塞感を抱えつつも、少ない可処分所得をファッションやコスメに投資し「自分自身を輝かせる」ことでストレスを発散。
派手なブランド志向や「金髪・日焼け」などの過剰演出は、自己肯定欲求の表れともいわれています。エアギャルやマルキュー系ギャルなどのセグメントも登場しました。
ギャルサーとコミュニティ形成
学校やアルバイト先では友人グループ「ギャルサー」を結成し、共通のブランドや色使い、ヘアメイクを合わせこむのが定番。
渋谷・原宿・横浜などエリアごとに異なるサークルカラーがあり、イベントやクラブ、カラオケでの交流を通じて独自のコミュニティを維持しました。
ギャルファッションとメイクの独自ルール

この章では、平成ギャルを象徴するヘア・メイク・ファッションの特徴を深掘りします。
明るいヘアカラーと厚盛りウェーブ
金髪・プラチナブロンドからピンク、シルバーへと移り変わるヘアカラーは「派手さ=目立つほど可愛い」の公式。
大きめのカーラーで作る厚盛り内巻きウェーブは、顔周りを華やかに演出し、髪の長さはロングヘアが圧倒的多数でした。
エクステによるロングエクステンションも定番で、毎月サロン通いするギャルが多数存在しました。
アイメイクの盛りテクニック
アイラインは黒とブラウンを重ね、目尻を長く跳ね上げた「キャットアイ」が基本。
つけまつげは上下ともに装着し、特に下まつげの束感を出す「下つけまつげ」も流行。
アイシャドウはベージュやピンク系をベースにグラデーションを入れ、白目を際立たせるハイライトを涙袋にも挿入するテクニックがギャル雑誌で紹介され、全国に浸透しました。
ミニスカ&厚底シューズの黄金コンビ
ファッションでは、ミニスカートやミニワンピースが定番のボトム。
脚を長く見せるため、厚底サンダルやブーツで10㎝以上のソールを重ね、スラリとしたシルエットを強調しました。
トップスはビッグシルエットのTシャツやキャミソール、オフショルダーなどが流行し、裾をインしてウエストをマークするスタイルもギャルスタイルを象徴しました。
ギャル文化の社交場「原宿竹下通りのストリートスナップ」
この章では、クラブではなく原宿・竹下通りで行われたリアル交流と情報発信の場について解説します。
スナップカメラマンによる路上撮影会
ファッション誌の編集部やフリーのスナップカメラマンが、週末になると竹下通りに集結。
読者モデル志望のギャルは「スナップ撮影に載りたい」と念入りに前日からコーデをチェックし、通り沿いで声をかけられるのをドキドキしながら待ちました。
撮影後、誌面掲載が決まると友達に自慢し合うのも楽しみのひとつでした。
ブランドショップ前での情報交換
ラフォーレ原宿や109前には、ギャル向けブランドのショップスタッフが常駐し、新作アイテムをいち早く店頭に並べます。
ギャルたちは開店時間前から行列を作り、最新のバッグやサンダルを手に入れた後はショップ前で「○○の新作買った?」とコーディネートやセール情報を交換し、仲間同士のコミュニティが形成されました。
ギャル系カフェやプリクラでの交流拠点
竹下通りには「ギャル系カフェ」と呼ばれる原宿独自の喫茶店が多数出現。
内装はピンクやシルバーで統一され、店内ではプリクラ機で友達と写真を撮り、フロアの中心に設置された鏡の前でファッションチェックを行うのが定番でした。
カフェでの何気ないおしゃべりから、最新の雑誌情報やメイクテクがリアルタイムでシェアされ、平成ギャル文化を回す原動力となりました。
まとめ

平成ギャル文化は、「自分を飾る」「仲間と共有する」「メディアで発信する」という三つの要素が融合したムーブメントでした。
原宿発信のストリートから全国へ波及し、ヘア・メイク・ファッションの独自ルールを確立。
携帯写メやギャル雑誌、クラブイベントといったメディアを駆使し、リアルタイムに流行を生み出し続けたそのダイナミックさは、令和のSNS文化の先駆けともいえます。
当時を知らない世代にも、その熱量と創造性をぜひ伝えていただきたいです。

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